『王(ワン)さんのラーメン屋』
ランチタイムのにぎわいもひと段落した午後二時半。
厨房では、店長の王さんがひとり洗い物を片付けていた。
最後のどんぶりを洗い終えたとき、
勝手口から「コンコン、コンコン」と戸を叩く音が聞こえた。
「どうぞ」と言っても、誰も入ってこない。
戸を開けて左右を見渡しても、それらしき人影はなかった。
ふと足元を見ると、細いヒモでぐるぐる巻きにされている
豚肉のカタマリが転がっていた。
それは明らかに、煮込む前のチャーシューだった。
「はて?」
王さんは首をかしげた。
そんなものを作った覚えはない。
王さんのお店では、出来上がったチャーシューを仕入れているからだった。
「恩返しか?」
と記憶をたどってみたが、
鶴や狐や猫や地蔵のたぐいに親切にした心当たりはなかった。
それにもし恩返しだとしたら、完成したチャーシューを置いていくだろう。
王さんは仕方なくそれを拾い、
鍋やボウルといっしょに戸棚にしまっておいた。
そのまま三日間が過ぎた。
王さんはチャーシューのことなどすっかり忘れていた。
いつものように、にぎやかなランチタイムが終わり、
洗い物を終えた王さんは、客席でスポーツ新聞を読んでいた。
そのとき、厨房から
「オイッ、オイッ」
と呼ぶ声が聞こえた。
「はて?」
王さんは首をかしげた。
この店には、王さん以外誰もいないはず。
厨房に近づくと、声は戸棚の中から聞こえてきた。
声の主は、チャーシューだった。
戸棚から取りだすと、チャーシューは
「ワシを煮込ませてやろう」と言った。
王さんは「なんだ偉そうに」と思い、
生ゴミのバケツに放り込んでやった。
「おいこら、ここから出しやがれ。聞こえないのか。こらっ」
十五分ほど無視してスポーツ新聞を読んでいたが、
あんまりうるさいので、渋々バケツから出した。
チャーシューは、こう続けた。
「この三日ばかり、戸棚の中からお前の働きぶりを眺めさせてもらった。
合格だ。店が混んでいる腕を見込んで、ワシを煮込ませてやろう」
あまりにも偉そうな態度と、だじゃれっぽい言い回しにむかついたので、
王さんはヒモを思いっきり引っ張って、ぎゅっと締めつけてやった。
「ううー、ううー」
と苦しそうな声をあげるチャーシュー。
とどめをさそうと力を入れたそのとき、
チャーシューが突然
「今!」
と叫んだ。
王さんはびっくりして、思わず手を止めた。
チャーシューは厳しくも、穏やかな声でこう言った。
「今の縛り具合を忘れるな」
この日から、王さんとチャーシューの闘いははじまった。
一日目。
王さんは、大きな鍋を用意して、
チャーシューに言われた通りにタレを作った。
タレが煮立ったところにチャーシューを入れると、
「熱い!」と文句を言った。
「もうやだ。寝る」とダダをこねたので、
鍋から出して戸棚の中にしまった。
二日目。
昨日よりも少し火を弱くして、チャーシューを鍋に入れた。
今度は「辛い!」と怒り、
「見たいテレビがあるから今日はここまで」と言った。
鍋から出し、テレビが見えないようにして戸棚の中にしまった。
三日目。
昨日よりも少し甘くして、チャーシューを鍋に入れた。
今度は「甘い!」と怒り、
「別にテレビを見せてくれなかったから厳しく言うわけではない」
とすねたように言った。
「つづきは明日だ」とふて寝したので、
戸棚に入れず、まな板の上にほったらかしにしておいた。
四日目。
昨日よりも少しだけ辛くして鍋に入れようとしたところ、
チャーシューが「しくしく、しくしく」と泣いていた。
「どうしたんですか?」と聞くと、
「ホームシックにかかったのだ」と言う。
王さんは「なんてワガママなやつなんだ」と腹が立ったが、
チャーシューに言われるがままに
車でいちばん近い海辺に連れていった。
海辺につくと、どこからか渡り鳥がやってきて、
チャーシューをさらっていった。
王さんは「やれやれ」と思い、店に戻った。
戸を開けて店の中に入った瞬間、
王さんは自分の鼻を疑った。
これまで嗅いだことのない、うまそうな香りに包まれていたのだ。
それを嗅ぐだけで、ご飯三杯は軽くいけるほどの香り、
いや“薫り”だった。
そのうるわしい薫りを放っているもの、
それはまぎれもなく、チャーシューのタレであった。
甘すぎず、辛すぎず、ちょうどよい火加減で煮つめられている、
チャーシューのタレであった。
タレの香りに酔いしれるうち、
王さんは幼い頃のある出来事を思い出した。
あるとき海辺を散歩していたら、
子供たちが棒で何かをつついて騒いでいる。
子供たちが去ってからつつかれていたものを見ると、
それは砂まみれのチャーシューだった。
王さんはそれを手に取り、海に流した。
もしやあのときのチャーシューが・・・と思ったのだが、
いじめられているところを助けたわけでもなければ、
本来あるべき場所に戻したわけでもないので、
やはり恩返しとは考えにくい。
それに王さんの店は、そこそこにぎわっているので、
救ってもらったという気持ちもとくに沸いてこない。
しゃくぜんとしない部分はあるものの、
おいしいチャーシューが作れるようになったことは事実。
王さんの店からは食欲をおおいにそそる
チャーシューの香りが漂うようになり、
商店街の人々は、今までよりもちょっと太った。
書き手 山田