『本場カレー ナマステ』
『ナマステ』の店長さんは、
いつも「ナマステ」と言ってお客を迎えた。
注文を受けたときも「ナマステ」、
カレーを出すときも「ナマステ」、
お勘定のときも「ナマステ」。
年の頃は四十そこそこ、
小麦色の肌から真っ白な歯をのぞかせ、
くりっとした瞳には、いつも微笑みをたやさなかった。
頭にはターバン、麻のシャツにだぼっとしたズボンが
お決まりのスタイル。
無駄口をきかず、毎日静かにカレーの鍋をかきまぜていた。
入り口に飾られたゾウの置物には
「インド人もびっくりのおいしいカレーだよ」
というキャッチコピーが書かれていた。
『ナマステ』のカレーは、
一度食べたらやみつきになるおいしさだった。
商店街の人びとは、家でカレーを作らず、
お鍋を持ってカレーを買いにいった。
「やっぱりインド人が作る本場のカレーは違うねえ」
「なにしろインド人がびっくりするくらいなんだから」
「このカレーを食べて腰を抜かしたインド人がいたらしい」
「かなり高級なカレーなんだろう」
「マハラジャ御用達なんじゃないか」
「マハラジャが年に一度しか食べられないカレーが
近所で食べられるなんて、この商店街に生まれてよかった」
と口々に誉めたたえた。
あるとき『ナマステ』に、ひとつの疑惑が持ち上がった。
「店長はインド人じゃないのではないか」というものだ。
商店街の人びとは、店長のことをずっとインド人だと信じてきた。
しかし本人の口から
「私はインド人です」
と聞いた者は誰もいなかった。
店長はこれまで「ナマステ」という四文字しか
発したことがなかったのだ。
「ひょっとしたら、彫りの深い日本人なんじゃないか」
「インド人がウソをつくわけがない」
「インド人じゃないからウソをついたのだ」
「いや、ウソをついたわけじゃあない」
「まってくれ。ウソをつかないのは
インド人じゃなくてインディアンだ」
「インディアンってインド人のことなんじゃないのかい?」
「なにいってんだ。インディアンってのは、
アメリカのご先祖さんのことだろう」
「そういやあ、そうだな」
「コロンブスがアメリカ大陸を発見したとき、
そこをインドと間違えてインディアンって呼んだそうだ」
「コロンブスってのは、まぬけなやつだねえ」
「コロンブスのことを悪くいうなよ」
「なんだい、お前はコロンブスの親戚かなんかか」
「ああそうだよ」
「ウソをつくな」
「俺はインディアンじゃないからウソをついてもいいんだ」
「へりくついうな、コノヤロー」
こうしてケンカがはじまった。
のちに“コロンブスの大乱闘”と名付けられたこの騒ぎのせいで、
『ナマステ』の店長がインド人か日本人かという疑惑は、
すっかり忘れられてしまった。
しばらくたち『ナマステ』に、新たな疑惑が持ち上がった。
「あれはバーモントカレーではないか」というものだった。
「まさか」
「そんな」
「でも」
「まてよ」
本場のカレーを食べているつもりになっていたが、
インドのカレーを食べたことがある者は誰もいなかった。
「りんごとはちみつの存在を感じた。
あれは絶対バーモントカレーだ」
「本場カレー、とは書いてあるけど、
インドだとは言ってないぞ」
「本場のバーモントカレーっていう意味かもしれない」
「バーモントの本場って、ハウス?」
「すっかりだまされた。ウソつきインド人め」
「インド人がウソをつくわけがないだろう」
「いや、ウソをつかないのはインド人じゃなくて・・・」
「あ、そういえば、まだ決着がついていなかったぞ」
「やるか!」
「のぞむところだ!」
こうして再びケンカがはじまった。
のちに“バーモントの乱”と名付けられたこの騒ぎのせいで、
『ナマステ』のカレーがバーモントカレーであるか否かという疑惑は、
すっかり忘れられてしまった。
またしばらくたち、『ナマステ』に関する
新たな噂が商店街を駆け抜けた。
「やはり、店長はインド人だった!」というものだった。
ある者が『ナマステ』でカレーを食べたとき、
突然店長を指差し
「お前は日本人で、これはバーモントカレーだろう!」
と追及したところ、たいして驚くことなく
「ノー」と言ったというのだ。
一、 日本語でない言葉をしゃべった。
二、 インド人はそうそうのことではびっくりしない。
この二点から、やはりインド人だったのか、と一同納得した。
「そういえば、マクドナルドでフィッシュバーガーを注文していた。
インド人は牛を食べないからだ」
「焼き肉屋でも、ナムルばっかり食べていたぞ」
「だから言っただろう。インド人がウソをつくわけがないんだ」
「だからウソをつかないのはインド人じゃなくて・・・」
ここまできて、みなが「まった」をかけた。
そしてある者が、
「インド人もインディアンもウソをつくかつかないかは人それぞれだ」
と発言し、みな大きくうなずいた。
ということは「ノー」という言葉も
ウソかもしれないということになり、
バーモントカレーであるか否かは、やはり謎のまま。
そのときある者が手を上げてこう言った。
「インド人が作った本場のカレーを食べれば、
真相が判明するのではないか」
こうして次回の商店街の慰安旅行は、
日光からインドに変更になった。
「これまさに、コロンブスの卵だねえ」と、
みな笑顔になりましたとさ。
書き手 山田